Q.今の仕事に至った経緯は?
私が20代の頃、具体的には1995年のことですが、社会が大きく揺さぶられ、自分自身のキャリアについて考えずにはいられない出来事が続きました。毎年、年末になると「今年の漢字」が日本漢字能力検定協会さんから発表されますが、1995年は「震」でした。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件・・・不幸な天災や事件が発生した年です。特に、阪神淡路大震災では親しかった友人が亡くなったこともあり、自分が生きている意味や価値とは何なのか?と、キャリアそのものと向き合わずにはいられなかったわけです。
それまでは、何事にも要領よく対処できる器用さがあるがゆえに、どこか煮え切らない部分があったのですが、性根が入りました。そして、30歳で中小企業診断士資格取得、社内でも経営サポートとしてのミッションを担うようになり、35歳で独立することになりました。
Q.独立後のテーマが「軍師」だった理由は?
独立時に考えたことが幾つかあり、せっかくならば、自分がやらなければ社会に生まれないかもしれないことを創り出したいと思ったのです。また、自分自身が自営業の両親を持つ長男でもあったので、そのリアルな感覚を活かせる支援対象を設定し、そこに自分ならではのアプローチを行ってみることにしました。それが「後継者の軍師」という活動の発端で、いろいろな縁に恵まれて、その領域を広く深く開拓していく流れができました。
Q.「軍師」を輩出すること自体がミッションということ?
その通りです。これまで熟考と実践を繰り返す中でたどり着いた「軍師」とは、大切な誰かの成長を信じ、その未来が明るいものであることを願い、ともに考え、ともに歩み、ともに成長しながら生きていく存在」というものでした。それは誰にでも持ちうる一面であると同時に、そうした側面を強く持ちうる人が社会に増えていけば、それは素晴らしいことに違いないという確信を持つことができます。同時に、そのための学びの体系をつくりこみ、提供し続けることは、おそらく私たち以外に本気で掲げるところは出てきにくい。かなりしんどいし、手間のかかる仕事ですから(苦笑)。でも、だからこそ、私たちが行い続ける意味があると思っています。
Q.コロナ禍を経て2年ぶりに再開を目指す?
2年間の休止は苦渋の選択でした。こんな時代だからこそ、軍師が社会に必要だという思いが募る中、そのための学びの形態は社会が求める各種制限ととても相性が悪いものでした。しかし、参加される方はご自身の人生における「運命の分かれ目」をつくるという意気込みで来てくださることが少なくない。妥協した形では実施したくないという思いがあり、2年間は休止しました。実は、途中何度も再開を企み、内部では準備に入りましたが、そのたびに腰を折られるという繰り返しでした(笑)。
その2年間を経て、パワーアップさせた形での再開です。本当に楽しみです。