共立梱包株式会社 取締役

新井 崇夫

2014年、第5期軍師アカデミーに参加した新井崇夫氏。既に共立梱包株式会社の取締役となっていた新井氏だが、その学びの中で改めて経営という仕事と向き合い、自社と向き合い、自分自身が共立梱包株式会社の未来を担うという役割の意味を肚に落としたという。

そこから辿る新井氏の歩みは、軍師アカデミーが提唱する「価値を生み出すために、価値あるものを受け取る、超友好的な乗っ取り」としての事業承継そのもの。新井氏は、超友好的な乗っ取り手となった。

現在は優良な財務体質を誇り、コロナ禍で社会が揺れる中でも業績を伸ばすまでになった同社だが、その当時、財務は傷つき。新たな融資を受けることもままならない状態だった。もちろん課題は財務面だけではない。ひとつひとつの課題が絡み合い、課題解決の打ち手は時として別の副作用も生み出してしまう。軍師アカデミーは、その総合的で難解な「経営」の全体像や深みを知る時間であり、その経営者となる自分自身に不足していることと向き合う時間でもあった。

そのときから新井氏の「価値を生み出すために、価値あるものを受け取る、超友好的な乗っ取り」の日々が始まった。学び続け、行動し続け、自己と自社の両輪を成長回路に乗せるべく奮闘開始。そんな新井氏を取り巻く状況は、2016年、急変することになった。

社長である父が病に倒れた。幸いなことに一命をとりとめたものの、経営者としての実務に復帰することは難しくなると覚悟しなければならなかった。

新井氏は改めて決意と覚悟を固めた。経営者として生きること、共立梱包株式会社にある良いものも悪いものも全て自ら受け止め、未来を描く責任者となることを決めた。

そのためには、財務的な重荷を個人としても背負うことになる。しかし、迷いは無かった。分散していた株式も集約し、オーナー経営者としての基盤も固め、全責任と裁量をもって経営の舵取りに挑むステージへ入った。実質的にオーナー社長として会社の舵取りを行う体制も調えた。

もちろん、「価値を生み出すため」の事業承継に挑んだ新井氏の真骨頂はそこではない。経営者として自社の価値を高めるための力を探り、その源泉を見出し、その力を自社が養い続けることで事業成長を実現させた。経営者として学び続け、実践を重ね、結果を積み上げていく新井氏の歩みのひとつひとつからは凄みが滲み出る。

新井氏が見出した力の源泉は、実はずっと大事にしていたはずの言葉に集約されていた。

それは、「安全」。

「安全」は、広辞苑(第七版)によると「安らかで危険のないこと。平穏無事。物事が損傷したり、危害を受けたりするおそれのないこと。」と定義される。一方「梱包」は、「効果的かつ効率的に荷主様よりお預かりした製品、部品が損傷したり、危害を受けたりするおそれをなくすこと。」と定義される。梱包を生業とし、そこで付加価値を高める自社がとことん追求すべきものは、真の「安全」だと気づいた。

新井氏は『養安全』を全面に打ち出し、同社のサービス展開の中核に位置付けた。「安全」を養い、提供するからこそ付加価値が生まれる。社員にその真意を粘り強く伝え、仕事も再編しながら『養安全』に資源を集中させて競争力を高めてきた。

その経営判断と実現力は確実な成果を生み出した。売上・利益ともに好循環に入り、内部留保を増やし、かつて経営危機に近づいていた財務体質も十分な安全性を有するまでになった。その安全性があるからこそ、現在では勝負どころで資金調達しながら打って出ることも可能な状態だ。新井氏の脳裏には次なる動きへのイメージも生まれている。

もちろん今でも経営の課題は無くならない。残念なことも発生する。しかし、今の新井氏は慌てることなく、総合的・俯瞰的な視点を持ちながら対処できる自分を感じているという。新井氏の中では、経営を4要素で総合的・俯瞰的にとらえ、本質に根差して動かす軍師の視点、それらを含む軍師力が動き出しているのだろう。

新井氏は、『養安全』に続く新基軸として『養軍師』を打ち出し、動き始めた。大切な誰かとともに成長し、未来を描く存在としての「軍師」。そんな「軍師」のような役割を自分や自社の中で養い、付加価値とする。その真意が社内外に伝わり、浸透するとき、同社の未来が更なる拡がりを見せるのかもしれない。

軍師アカデミー修了後も学び続ける新井氏。時間をつくり、軍師アカデミー講座にオブザーブ参加(修了生は自由に講座をオブサーブできるという軍師特有の仕組み)しながら自分と向き合い、自社に想いを馳せ、実践の日々とつなぐ日々が今も続く。

この歩みには、終着点としてのゴールは無いのだろう。

<参考リンク>
共立梱包株式会社  http://www.eonet.ne.jp/~kyoritsu/

Interview

Q. 軍師アカデミーに参加して約9年。その間のご自身の変化、成長をどのように実感してこられましたか?

軍師アカデミーに参加した時、私には経営の知識も覚悟も不足していました。ともに学ぶ人たちのコメントの意味がわからず「何のことですか?」となることもありました。しかし、ありのままの自分、自社と向き合い、経営者として生きる自分を創ることができました。

わからないことは学べばいいし、不器用な自分なりに時間をかけ、足りない部分は埋めていけばいい。日常の中に学びを深める材料は豊富に存在しますから、ひとつずつ気づきを重ね、手ごたえを知り、確信を積み重ねてきました。

それらが自分の血肉となり、今では経営者として物事を総合的・俯瞰的にとらえる自分、軍師として周囲とともに未来へ向かう自分を感じられるようになりました。そのことを自分らしいと感じますし、自分を完全燃焼させて取り組むことができています。9年前とは全く違う自分になったと実感します。

 

Q. 大きな転機としては2016年でしょうか?

父が病に倒れ、経営の現場への復帰が危ぶまれる状況となりました。後継者である私には決断が求められました。全責任を負う、つまり人生を賭けて自社の全てを受け止めるかどうかを決める瞬間がやってきました。

当時、我が社の財務は相当に傷ついていました。債務過多であり新規融資さえ簡単に受けられるような状態ではありません。当然、経営課題も山積みです。事業承継期に必須の株式の掌握への課題もありました。それらの壁を超えるには、私個人としても大きなものを背負うことが不可避でした。

しかし、軍師アカデミーで「超友好的な乗っ取り」としての事業承継を自覚し、私自身の役割の本質と向き合っていたからこそ、私は前向きな姿勢で経営者として生きる決断をしました。その意味では、直接の節目になったのは2016年ですが、実は2014年の軍師アカデミー参加のときが本当の転機だったと言えるかもしれません。

 

Q. その後、経営者として事業を伸ばし、財務体質も健全化させ、会社を立て直したわけですが、そのとき推進力の源泉となったものはあったのでしょうか?

まず、自社の核となる価値は何なのだろうか?何にお客様は価値を感じてくださるのだろうか?ということと向き合いました。これは軍師アカデミーの中でも向き合いましたが、今も考え続けている大きなテーマです。そして、たどり着いたのが「安全」でした。

「安全」を広辞苑で調べると、「物事が損傷したり、危害を受けたりするおそれのないこと」と書いています。まさに我が社が梱包を通してお客様に提供している価値の中核はここにあると気づきました。取引の中で生まれるニーズはさまざまですが、中核はここにある。その「安全」の価値と向き合い、とことん養い続けようという想いで『養安全』という造語を事業の中核に置きました。それが推進力となりました。

その中核に対する必然と言える仕事が残り、拡大し、気がつけば売上・利益にもつながりました。その甲斐あって、財務体質も健全化し、自社の「安全」も養うことができ、お客様にも社員たちにも価値ある「安全」をお届けできる会社に近づいてきました。

 

Q. コロナ禍の影響はいかがでしたか?

コロナ禍であっても『養安全』の価値は変わりませんでした。

とはいえ、経営者として何も手を打たなかったわけではありません。経済が混乱した時、我が社の事業や財務に打撃が訪れることも十分に警戒しました。そこで先手を打って資金を調達し、手元資金を通常期の何倍にも手厚い状態を確保しました。既に財務体質を健全化させていたからこそ可能なことでしたが、各方面で国策としての融資の話が動き出すときには既に我が社の資金対策は終わっていました。むしろ、いち早く『養安全』を中核とした事業成長のためにパワーを割くことができ、結果的にはコロナ禍の中でも売上・利益ともに伸ばし続けることができました。

 

Q. 最後に、今後に向けて考えられていること等、お聞かせください。

まだまだ課題は多く、学びも経営も終着点となるゴールなど無いことを実感しています。私があまりにも「まだまだ」と言い続けることで、周囲の関係者が「これ以上は無理」とならないよう、時には緩めることも大事だということも自覚していますが(笑)、まだまだ成長しなければと認識しています。財務面の健全性を高め続けてきたことにより、安全性を担保しながら若干の挑戦を行うことができる余力も生まれました。攻めるべきときには攻めたいとも考えています。

また、自分自身が学んできた「軍師力」を自社として養い、軍師たる共立梱包としてお客様とともに成長し、未来を創るような経営を実現したい。その想いを込めて、『養安全』とともに『養軍師』という基軸を持とうとしています。この真意を内外と共有し、自分たちの中にその価値を養っていくこと。やはり、この歩みはまだまだ続きます。


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Profile

1971年生まれ

2009年 共立梱包株式会社入社

2010年取締役就任 2016年より社長代行となり今に至る(2023年5月現在)。
経営の面白さを知り、経営者として精進を重ねる。その一方、仕事を離れた一人の家庭人としては、妻、娘、息子との4人家族で「共に越えられない壁はない」の精神を大切にし、力を合わせ、それぞれの夢の実現に向けて邁進することも目指している。